前回、私は「断捨離の最終形は、家を手放すことだった」という話を書きました。15年住んだマンションを売り、9月にUR賃貸へ住み替えます。でも、家という大きなものを手放す前に、実はもっと早い段階で、ずっと心に引っかかっていたものがありました。趣味の道具です。
登山道具も、キャンプ道具も、私は全部手放しました。今日はその話を通して、私がどんな基準でモノを手放すようになったのか——そして54歳の今だからこそたどり着いた、ひとつの考え方をお伝えしたいと思います。
押し入れを占領していた「昔やっていたから」「またやるかも」たち
登山やキャンプの道具をそろえたのは、もう何年も前のことです。テント、寝袋、ザック、トレッキングシューズ、バーナー。買った当時は本当にわくわくして、休みのたびに山へ出かけていました。あの頃の私にとって、それは間違いなく「今やっていること」でした。
けれど、いつの間にか足が遠のきました。仕事が忙しくなり、子どもたちのことがあり、気づけば道具たちは押し入れの奥で眠ったまま。何年も袋から出していないのに、捨てる決心だけはつかない。そんな状態が、ずっと続いていました。
「好きだから」で残すと、結局なにも手放せない
手放そうとするたびに、私の頭に浮かぶ言葉がありました。「だって、好きだから」。
登山もキャンプも、好きでした。今でも嫌いになったわけではありません。だから「好きかどうか」を基準にすると、答えはいつも「残す」になってしまう。服も、本も、道具も、思い出の品も——突き詰めれば、手元にあるものはたいてい「嫌いではない」のです。「好き」を基準にしているかぎり、人は結局なにも手放せない。これが、何年もモノを減らし続けてきて、私がようやく気づいたことでした。
そこで私は、基準そのものを変えることにしました。「好きかどうか」ではなく、「今、実際にやっているかどうか」。この一点だけで判断する、と決めたのです。
若い頃と違う。「また今度」が、もう来ないかもしれない
「今やっていないなら手放す」と言うと、こう思う方もいるかもしれません。「でも、また始めるかもしれないでしょう?」と。若い頃の私なら、確かにそうでした。一度離れた趣味に、数年後ひょっこり戻ってくることもありました。「いつかやる」が、本当にやってくる時間が、まだ十分にあったのです。
でも、54歳になった今は違います。次にやるかどうか、もう自分でも分からない。これは悲観ではなく、正直な実感です。
理学療法士として30年、私はたくさんの方の体と人生を見てきました。年齢を重ねるということが、体力や気力にどう影響するか。新しいことを始めるのに、若い頃よりずっと大きなエネルギーが必要になっていくこと。「また今度」と先延ばしにしたことの多くが、結局そのまま来なかったこと。それを、仕事を通しても、自分自身の体を通しても、はっきりと知っています。
人生のメモリーは、もう増やせない
このことを考えていたとき、私の中にひとつの言葉が浮かびました。「人生のメモリー(容量)は、これ以上もう増やせない」ということです。
パソコンやスマホを思い浮かべてください。新しいものを入れるには、空き容量がいります。容量がいっぱいなら、何かを消さないと、新しいものは入りません。そして大事なのはここです。若い頃は、容量そのものを増やすことができました。でも、これからの私には、それがもう難しい。

今できていること以上に、やれることを増やしていく——そういう「容量を増設する」生き方は、もう現実的ではない。そう考えたほうがいい年齢に、私は来ているのだと思います。体力にも、時間にも、気力にも、限りがある。だからこそ、今すでに使っている容量の中身を、本当に大切なものだけにしておきたい。
そう考えると、押し入れで眠る道具たちの意味が、はっきり変わって見えました。あれは「いつか使うかもしれない安心」ではなく、限られたメモリーを静かに占領し続けている、使われないデータだったのです。
だから、効率化して「今やっていること」だけを残す
容量を増やせないのなら、やるべきことはひとつ。入れ替える。つまり、何かを手放す。暮らしを効率化して、本当に動かしているものだけを残す。これが、私がたどり着いた答えでした。
登山道具もキャンプ道具も、「好きだったか」と聞かれれば、好きでした。でも「今やっているか」と聞かれれば、答えはノーです。だから、手放しました。手元に残したのは、結果的にたった二つ。ヨガとランニングです。理由は「いちばん好きだから」ではありません。今、実際に毎日続けているからです。
道具を手放したあと、押し入れにも、心にも、不思議なほど余白が生まれました。「持っている安心」より、「持たない身軽さ」のほうが、今の私にはずっと心地いい。それに、好きだったものを目にするたびに感じていた「いつかはやらなきゃ」というプレッシャーからも、ようやく解放されたのです。空いた容量に、これからどんな時間を入れていこうか——そう前を向いて考えられること自体が、軽くなったごほうびのように感じています。

「やるかも」「やらなきゃ」を手放したい、あなたへ
もし今、押し入れの奥に「いつかやるかもしれない」道具が眠っているなら、一度こう問いかけてみてください。「好きかどうか」ではなく、「今、やっているかどうか」。そのうえで、「今できていないことは、これからもできない」と腹を括ってしまうのです。冷たい線引きに聞こえるかもしれません。でもこれは諦めではなく、限られた容量を本当に大切なものだけで満たすための、いちばん優しい決め方だと私は思っています。
そして、もうひとつ。私たちの人生のメモリーは、これから増やせるものではありません。だからこそ、限られた容量を、今いちばん動かしたいことのために空けておく。「やるかも」を手放すことは、何かを諦めることではなく、今の自分に正直になることなのだと、私は思っています。
次回は、いよいよ住まいの話です。無職になった私が、なぜ住み替え先にUR賃貸を選んだのか——その理由を綴ります。どうぞお付き合いください。


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