赤ちゃんの泣き声は、なぜあんなに大きく響くのでしょうか。体重3キロほどの小さな体、筋トレなんて一度もしたことがない体から、大人が驚くほどの声が出る。じつはあの声の正体こそ、今回のテーマ「腹圧(ふくあつ)」です。
いっぽう大人はどうでしょう。ヨガや体操教室で「お腹に力を入れて」と言われて、息を止めてお腹をカチカチに固めてしまった経験はありませんか。私は理学療法士としてリハビリの現場に約30年いましたが、「お腹に力を入れて」が一発でできる大人は、ほとんど見たことがありません。姿勢シリーズの続編となる今回は、赤ちゃんは自然にできて、大人はできなくなる「腹圧」のお話です。
腹圧とは「お腹の中の風船」のこと
腹圧とは、正式には「腹腔内圧(ふくくうないあつ)」。お腹の中の空間にかかる圧力のことです。むずかしく聞こえますが、イメージはとても単純で、お腹の中にふくらんだ風船が1個入っていると思ってください。
この風船は、まわりを筋肉の壁で囲まれています。上のフタが横隔膜(おうかくまく・呼吸で上下する筋肉)、下の底が骨盤底筋(こつばんていきん・骨盤の底で内臓を支える筋肉)、お腹側をぐるっと巻くのが腹横筋(ふくおうきん・天然のコルセットと呼ばれる筋肉)、背中側が多裂筋(たれつきん・背骨ぞいの小さな筋肉)。この4つが風船の壁です。
風船がほどよくふくらんでいると、お腹まわりは内側から張りが出て、背骨が安定します。段ボール箱にたとえるなら、中身がぎっしり詰まった箱は上に乗っても潰れないのに、空っぽの箱はすぐ潰れる。あれと同じで、腹圧はお腹の中から背骨を支える「中身の詰まり」なんです。

子供の体幹は未完成。なのに使い方は満点
ここで面白いのは、子供の体は構造としてはまったく未完成だということです。赤ちゃんの肋骨はほぼ水平で、胸はまるい筒のような形。腹筋はうすく、骨盤も小さい。腰のS字カーブもまだできていません。大人の体と比べれば、体幹の「入れ物」としては圧倒的に頼りない作りです。
それなのに、使い方は満点なんです。赤ちゃんが泣くとき、お腹はぐっとふくらんで固くなります。横隔膜とお腹の壁が協力して風船をふくらませ、その圧力で声を押し出している。誰にも教わっていないのに、腹圧呼吸そのものです。
幼児になっても、この上手さは続きます。小さな子がしゃがんで遊ぶ姿を思い出してください。かかとをべったり床につけて、深くしゃがんだまま、何分でも平気で遊んでいます。自分の体に対して大きめの物を持ち上げるときも、教わっていないのに一瞬お腹に圧をためてから持ち上げる。子供は、腹圧の使い方を本能で知っています。
それもそのはずで、寝返り、ずり這い、ハイハイ、つかまり立ち。赤ちゃんの発達の道のりは、そのまま腹圧と体幹の訓練コースになっています。人は誰でも、この訓練を一度は満点で卒業しているんです。

大人は構造が完成しているのに、使い方を忘れる
大人になると、立場は逆転します。肋骨は斜め下向きになり、横隔膜が働きやすい形に整う。腹筋も骨盤底筋も育ち、風船の壁は立派に完成します。ところが今度は、使い方のほうを忘れていくのです。
忘れさせる犯人は、日々の暮らしにあります。いちばん大きいのは座りっぱなしの時間です。椅子に座って背中を丸めると、風船は上下からぺしゃんこに潰され、横隔膜は下がれず、呼吸は胸の上のほうだけの浅いものになります。この姿勢で何年も過ごすうちに、横隔膜と腹横筋と骨盤底筋のチームワークは、少しずつ解散していきます。
「お腹に力を入れて」と言われた大人が、息を止めて表面の腹筋だけをカチカチに固めてしまうのは、このためです。風船を内側からふくらませる感覚を忘れているので、外側の壁を握りしめることしかできない。息を止めた体幹は一見固そうで、動きには使えません。歩けば崩れ、走ればもっと崩れます。
ぽっこりお腹、くしゃみのときの尿もれ、慢性的な腰の張り。中高年に増えるこれらの悩みは、別々の問題に見えて、「風船がしぼんだまま使われていない」という同じ根っこでつながっていることが多いのです。
あなたの腹圧は働いている?30秒セルフチェック
自分の風船が働いているか、簡単に確かめてみましょう。
- 咳チェック:おへその下に手を当てて、コホンと咳をする。手のひらがぽんっと内側から押し返されたら、腹圧は反応しています。お腹が逆にへこんだり、何も感じなかったりしたら、風船がお休み中のサインです。
- 呼吸チェック:椅子に座って片手を胸、片手をお腹に当て、ふつうに呼吸する。胸の手ばかり動いてお腹の手がほぼ動かないなら、風船を使わない浅い呼吸が癖になっています。
- しゃがみチェック:かかとを床につけたまま、深くしゃがめますか。後ろにころんと転がりそうになる場合、足首の硬さに加えて、体幹がお腹で支えられていないことが影響しています。
腹圧を「思い出す」3つの練習
ここまで読んで気づかれたと思いますが、大人に必要なのは腹筋運動で壁を厚くすることではありません。一度は満点だった使い方を、思い出すこと。だから練習も、赤ちゃんの動きをなぞる形になります。
① 仰向けの風船呼吸(赤ちゃんの寝姿勢)
仰向けに寝て、膝を立てます。両手をお腹の横、ウエストのくびれあたりに軽く当てる。鼻から吸って、お腹の前だけでなく横の手も押し広げるように風船をふくらませます。吐くときは、口から細く長く、風船がゆっくりしぼむのを手で感じながら。5回から始めて、朝晩にひとまわりずつ。

② 四つ這いキープ(ハイハイの姿勢)
肩の下に手、股関節の下に膝をついて四つ這いになります。お腹を床に向かってだらんと落とさず、風船を軽くふくらませたままお腹を「天井へ1センチ」持ち上げる意識で、呼吸を止めずに30秒キープ。ハイハイ期の赤ちゃんが毎日やっていた、天然の体幹トレーニングです。
③ 深しゃがみ(子供の遊び姿勢)
足を肩幅より少し広めに開き、かかとをつけたまま、ゆっくり深くしゃがみます。転がりそうなら、テーブルの脚や柱を軽くつかんでOK。しゃがんだ底で3呼吸、お腹の風船で上半身を支える感覚を味わってから立ち上がります。硬くてしゃがめない人ほど、つかまってでもこの姿勢に戻る価値があります。
私がランニングで意識していること
私自身、サブ3.5を目指してランニングをしていますが、走りが崩れてくるレース後半こそ腹圧の出番だと感じています。疲れてくると背中が丸まり、風船がしぼんで、脚だけで走る形になる。そこで私は、お腹をぎゅっと固めるのではなく、おへその下に「張り」をひとつ置き直すイメージでリセットします。姿勢シリーズ第5回でお話しした「丹田だけ芯を残して、あとは脱力」と同じ感覚です。
ヨガの練習でも同じで、ポーズを頑張って固めるより、呼吸で風船をふくらませたほうがずっと安定します。腹圧は、腹筋がバキバキの人の特別な技術ではありません。誰もが赤ちゃんの頃に使いこなしていた、体の標準装備です。
おすすめアイテム
マットの上でやると膝も背中も痛くなりません。仰向けの風船呼吸にも四つ這いキープにも、厚めの12mmがちょうどいいです。
背中の下に縦に置いて仰向けになると、胸がひらいて風船呼吸の練習がしやすくなります。デスクワークで固まった姿勢のリセットにも。
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深しゃがみで後ろに転がりそうな人は、お尻の下にブロックを置いて座るところから始めると安心です。
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まとめ:鍛えるより、思い出す
子供は、体幹の構造は未完成なのに、腹圧の使い方は本能的に正しい。大人は、構造は完成しているのに、使い方を忘れている。だから私たちに必要なのは、新しく鍛えることより「思い出す」ことです。
今日はまず、仰向けの風船呼吸を5回だけ。寝る前の布団の上でできます。赤ちゃんの頃に満点だった感覚は、ちゃんと体の中に残っています。

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